
僕は、京都で生まれ育ったんだけど、京都市内って大学が多いから学生が多くて、当時、フラワーチルドレンみたいなお兄さんがたくさんいましたね。でも、僕らは、あまりかっこいいとは思わなかったな~。なんか、ちょっと古臭い感覚だったのかもしれない。現に、世の中はまだアイビーブームの真っ只中でしたしね。おそらく、京都という学生の街だったから、ヒッピーカルチャーが色濃く残ってたかもしれません。
エナメルの靴を履いて正当なコーディネイトを楽しんでました。ただ、それはホント、服に興味を持った入り口で、10代後半は、服だけでなく音楽や遊びなど先輩からたくさんの影響を受けましたね。サーフィンもそうだけど、西海岸のサーフスタイルもこの頃、先輩から教えてもらいました。まあ、そんな感じで昼間はバイトして、夜は朝までディスコ(今でいうクラブだね)で、先輩たちと遊ぶみたいな生活を2年くらいしてました。ただ、まわりは大学進学やら就職やらという時期になってきて、このままではということで、服が好きだったし、先輩も通ってたというのもあって服飾の専門学校に入学したんです。4年生制だったんだけど、最初の2年間は洋裁を覚えて、あと2年でデザインを勉強するって感じだったかな。結構、辞める人がいる中で、僕はがんばった方だと思いますよ(笑)。
ある時、廊下に張り出されてたデザイン画のランキングで、センスがよくて憧れてた先輩のデザイン画が120位くらいだったんですよ。もう、自分の感性と世間の評価にはギャップがあることを知って、すごい焦りを感じました。だから、そこから残り2年くらいは、デザインを猛勉強して、最終的には、学年で1~3位に入れるようにまで努力しましたよ。今考えると、すごいターニングポイントの出来事でしたね。
でも、東京にあるモードブランドやアトリエは、当時、丁稚奉公みたいな感じで月給が5万円。とても上京して1人暮らし出来ないから断念しました。で、選んだのはバイトしていた大阪のアパレルメーカーにそのまま就職。ただ、ここがものすごい面白くて勉強になったんですよ。当時、「マリテ+フランソワ・ジルボー」とかのヨーロッパのジーンズが流行っていて、それをコピーしてたんですね。要は、アメリカンデニムでない洗練されたヨーロッパデニムを目指すといった感じです。ただ、コピーの仕方がハンパなくて、まず、徹底的に分解するんですよ。そうすると意外なことにいっぱい気付けて…、「あっ!こうなってんだ~」とか「立体になってんのね」、「これってわざとしてるんや」とかちょっとしたことや仕掛けがいっぱい発見できるんですよ。で、他のブランドはみんな、上っ面だけを観察して真似てるので、なんか違うのね。だから、僕らの作ったジーンズは、アイテム力が高く評価され、ものすごく売れたんですよ。ここでは、学校で学べなかった事をたくさん教わりましたね。
でも、ちょっとオーバワークしちゃって身体を壊してしまい、そこでの仕事は2年半くらいで辞めました。そこからは、いつのまにかフリーに転向です。フリーになるつもりは特になかったんだけどね…(笑)。


- ヒッピーの類語。アメリカ社会の専門家や技術者集団に操作されたり管理される高度資本主義社会を批判し、それに代わる思想、価値、生活様式を積極的に試みた若者たち。


- 60年代、アメリカのワークウエア的なイメージが強かったジーンズを、ヨーロピアンジーンズとして、初めてスタイリッシュなアイテムにアレンジしたフランスのブランド。


- アイビーとはニューイングランドのエリート学生が着こなす優等生的なスタイルから、アメリカ的バンカラ風に着崩したスタイル。象徴的なアイテムとしては、三つボタンブレザー。
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