ブランドフォレスト

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Vol.06 JOINT CREATION代表 YAK氏にインタビュー!

ジョイントクリエイション 代表 土井"YAK"康之氏

2011/08/30

「バイトで貯めた50万円でヘンプTシャツを作ったのがジョイントクリエイションの始まり。」

ジョイントクリエイション 代表 土井”YAK”康之氏

初めてファッションを意識したのは、小6の頃にスケートボードを始めてから。

古着の501にヴァンズ。中学の頃は赤耳とかもまだ誰も騒いでないから、渋谷のタウンスポットという古着屋なんかで普通に3千円とか4千円で売っていて、それを全然知らないで買って、自分でジーンズにペンでグラフィックを書いたり(笑)。まあとにかくスケボーくらいしかやることがなくて、逆にスケボーやらないやつは何をやってるんだろう!?って感じだった(笑)。

その後、スケートボードを通じて原宿のファッション・音楽関係の人たちと次々と出会っていく。

スケートボードの世界って横の繋がりが強いところがあって、アンダーカバーのジョニオくん(高橋循)に始まり、ヒロシくん(藤原ヒロシ)とかNIGOくんとかスケシンちゃんとかと知り合っていったんです。いわゆる裏原宿系の人たちとは、その頃にほとんで知り合ったんじゃないかな。たぶん僕なんかはどこの馬の骨かも分からない存在だったと思うんですが、とにかくみんな仲良く遊んでくれましたね。ジョニオくんなんかは、家へ遊びに行ったら、もう当時からミシンとか使って洋服作ってるんですよ。すげえなあ!って。

そのうちジョニオくんから、Tシャツ作りを手伝ってくれって言われて。

で、シルクスクリーンで刷って、ドライヤーあてて、アイロンあてて、Tシャツがなくなったらジーンズメイトでヘインズの赤タグ買ってきてというように、全部手作りでやってて、そのインパクトがすごく強かったんですよね。ミシンで縫うとかは全くできないけど、Tシャツ刷るんだったら自分でもできそうだし、面白いなって。結局、その時の勘違いが現在まで続いてる(笑)。後に自分がTシャツを作りたいと思ったのは、その頃の影響が一番大きいと思うんです。その後、ジョニオくんがNIGOくんと一緒に原宿でノーウエアという店をやることになって、そのまま半ば自動的に僕がお店に立つことになりました。だから実は僕、ノーウエアの初代店員なんですよ。 店員生活を2年ほど続けた頃、毎日お店に立って服を売るっていう機械的な作業がイヤになってきたんです。で、ようやく自分のことを考え始めたんですよね。そんなある日、街であのステッカーが目に入ってきて、ビビっときた……。

当時、バイカーの知り合いがタンクに貼っていたグレイトフルデッドの“スティール・ユア・フェイス”のステッカーが目に飛び込んできて。

そこからはとにかくデッドが気になり始めちゃったんです。で、これは何やら裏が深そうだから、とりあえずアメリカに行って見てこようと。で、アメリカに行きたいんだったら、古着屋のバイヤーの仕事をすれば良いと。それで知り合いだったビンテージキングのスタッフの人たちに相談して、晴れてバイヤーになったんです。言ってみれば、とても不純な動機で(笑)。

そこからはL.A.の生活。ボロ屋と呼ばれるでっかい倉庫で古着をピックアップし、日本へ送る日々。

仕事は朝7~8時くらいから働いて、2~3時にはもう終わってる。だからその後は、デッド周辺のヒッピーやらヘンプやらのカルチャーにどっぷりと浸れたんですよね。ライブに行ったり、みんながたまるカフェやショップに行ったり。中でもヘンプのカルチャーには衝撃を受けました。その頃日本ではクロムハーツとかのゴツいシルバーアクセが人気になり始めてて、それに比べると真逆の方向性だけど、自分は完全にヘンプの方だなって、どんどんのめり込んでいきました。。

そうして夢中になってる頃、突然訪れたデッドのジェリー・ガルシアの死。

その日は朝からビーチに向かっていたんだけど、ビーチの手前の信号で車が隣に並んできて、“今朝ジェリーが死んだよ”って告げていったんです。翌日、ゴールデンゲートパークの追悼集会に行ってみると、既に何千人というファンが集まっていて、祭壇とかを作ってる。その時、一つの流れが急激に動こうとしているという、何か鳥肌が立つような感覚があったんです。そしてデッドのメンバーのミッキー・ハートがスピーチした。“君たちがデッドに何か影響を受けたのだったら、今度は君たちが何かを始める番だ”って。それを聞いて、オレも何かやらなくちゃいけないなあって思って。

自分の店をやってみないかって話がきたのは、ちょうどその頃でした。

古着屋関係のルートで声をかけてもらって。それでヘンプのアクセサリーやタイダイ染めのタペストリーといったデッドカルチャー周辺のものから、古着のスウェット、自分で刷ったTシャツまで、これまで自分が通ってきたものをミクスチャーにしたお店を原宿でやり始めたんです。“ダウンオンザコーナー”という名前で。まあ最初はとにかく売れなくて、ノーウエアなど裏原宿系の延長で来たお客なんかは、ポカーンとしてましたね(笑)。でもだんだんと口コミで知られていき、同じような匂いを持った人たちが全国に出てきたなあと実感できるくらいにはなりました。そうやってお店は'96年から'01年まで続けたんだけど、ビジネスとしてはなかなか成立しなく、元々自分のお金でやってるわけじゃないこともあり、閉めざるを得なくなってしまいました。

Tシャツを作ること、ヘンプを身に纏うことはやめられない。

次に何をしようかと考えたときに、やっぱりオリジナルのヘンプTシャツ作りに挑戦したいなって。それで始めたのが、ジョイントクリエイション。2002年のことでした。最初にやったのが、ペンキ塗りのバイトとかをして貯めた50万円で、オリジナルのヘンプTシャツを100枚作ること。もう生地から色味までこだわって、それを松岡俊介くんをはじめ一緒に遊んでた仲間10人くらいにデザインしてもらって、Tシャツ展みたいのを開いたんです。でもコストがめちゃくちゃ高かったから、1000枚作ってもほとんど利益が出なかった(笑)。

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